中国残留帰国者問題の研究 ーその現状と課題ー

第2章 中国・樺太残留帰国者問題


2-3-9 中国残留孤児国家賠償請求訴訟のまとめ


本件、中国残留孤児国家賠償請求訴訟の争点は2つに絞られる。
「早期帰国実現義務違反」と「自立支援義務檞怠による損害」が、その主な争点だが、神戸地裁の判決以外は、国の法的義務違反を認めなかった。

各地裁の裁判官の見解では全て、「事後的・結果的にみると日本政府の対応は不十分であった」と述べてはいるが、神戸地裁以外では「法的義務違反があったとまでは言えない」との判断を下している。つまり、早期帰国実現義務違反については、政治的責務の檞怠はみられるが、国家賠償法上の違法を認めるに至らないとの見解である。

東京地裁においては、自立支援義務についても、早期帰国実現義務違反が認められないのであるから、「日本社会で生活していく上で生じるであろう種々不都合、不便、不利益など原告らが被害あるいは損害と主張するものの、発生を防止する措置を講じる義務を負わない」として、国の義務を否定している。
これに対して、神戸地裁では、合理的な根拠を無くして帰国を制限した政府の措置は違法な職務行為との見解を出した。

多くの判決が、事後的、結果的に見れば、日本政府も「手探り状態」で、出来る範囲の努力をしており、法的義務違反があったとまで言えないと示している。

しかし、日本政府の消極的な取り組みは、歴史をたどってみると歴然としている。
日中国交正常化に至るまで、戦時死亡宣告による処理や帰国意思不存在の認定による処理に主眼を置いた国の対応により、未帰還者の調査研究があまり進展していなかった。また、昭和35年10月25日付けの政府の通達により、未帰還者が帰国する際、戸籍謄本の提出を義務付けたことにより、自己の身元も分からず戸籍謄本を取得する術を持たない多くの残留孤児が、帰国したくても帰国できない状況に置かれたことは否めない事実である。

東京地裁では、「帰国が遅れたことにより、帰国時に原告らが高齢になったことについても、国に早期帰国実現義務がない以上、高齢になっていたことについて、被告に法的責任は認められないから、高齢であるがゆえに原告らに生じるであろう被害の発生を防止すべき義務が国にあったとも言い難い」と述べている。
原告らの主張は、自立支援義務の発生根拠となるその原因を作った行為と、残留孤児を放置したまま早期に帰国させなかった行為であり、日本政府は、残留孤児を救済する法的義務と、その義務を十分に果たしていなかったという事実は、東京地裁以外の判決で多数認定している。

一連の訴訟の中で、東京地裁では、国の原告らに対する自立支援義務を認める法的根拠はないとしたのに対し、それとは対照的に、神戸地裁では、国に賠償を命じ、法的義務の檞怠による違反を認めた。

未帰還者留守家族等援護法29条は、未帰還者が置かれている特別の状況にかんがみ、国の責任において、これらの者を援護することを目的とし、「国は、未帰還者の状況について調査究明をするとともに、その帰郷の促進に努めなければならない。」としている。 日中国交正常化後、政府は原告らが帰国する際に、外国人扱いをし、帰国の条件として身元の判明のみならず親族の身元保証を要求するなどし、帰国が遅れる原因をつくっている。
また、国は、民間団体の帰国援護運動や世論からの批判により、保有資料調査、公開調査を実施し、国交正常化から9年経った後になって、初めて訪日調査を行っている。

自立支援法は、永住帰国した残留帰国者の自立の支援を行うことを目的とし、「早期の自立の促進及び生活の安定を図るため、必要な施策を講ずるものとする」とし、日本語習得、就労、生活支援全般を目的に施策を講じるものである。
しかし、自立支援法施行から約7年もの間、従前の施策の維持により残留孤児が放置されてしまったこと、その間、残留孤児が高齢化し施策が手遅れとなってしまったこと、この自立支援法が施行される前にこの期間、議員立法などにより、残留孤児に対しての実質的な支援策が何一つ行われていないことなど、立法措置を行わなかったことは、政府の檞怠といっていいのでないだろうか。

このような、事実を鑑みると、帰国が実現するよう可能な限りの手段を、政府が尽くしてきたとは言い難い。
また、中国残留孤児が、帰国後も生活保護を受けながらも、政府の制度に満足をし、精神的に自立した生活が営まれているならば、訴訟は起こっていない。
東京地裁の判決において、「国は人道上の債務として、現在に至るまで、原告らの帰国や帰国後の生活に対する様々な支援を立案・実施してきており、本件訴訟は実質的には国のさらなる支援を求めるものと解される」と述べられているが、ここでの原告団の意図は、国家賠償訴訟を通じて、母国で人間らしい生活をしたいという思いが込められている。
国への賠償訴訟という形であっても、本質は、日本人として日本の地で、人間らしく、老後の安らかな生活を保障してもらいたいという給付金制度の確立であったことを忘れてはならない。

本節でみてきたように、一連の中国残留帰国者訴訟は、結果をみると、原告の1勝7敗というものであった。
しかし、各地で訴訟が続けられていた2007年8月に与党のプロジェクトチームが中心となって新しい支援策がまとめられ、国会では「中国残留邦人等の円滑な帰国促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律」の一部改正が行われ、12月5日に公布された。

中国残留孤児国家賠償請求訴訟は、2002年12月の東京での提訴から4年半の訴訟であったが、2008年4月より中国残留邦人に対する新たな支援策が成立し、施行されたのを受け、各地で訴訟が取り下げられ、政治的な解決として一連の集団訴訟は終結を迎えることとなった。