中国残留帰国者問題の研究 ーその現状と課題ー

第2章 中国・樺太残留帰国者問題


この章では、日本人でありながら、終戦時の混乱により、中国や樺太に取り残され、その後、日本に帰国した、いわゆる「中国・樺太残留帰国者」と呼ばれる人々の現状と、行政のこれまでの取り組みについて概観する。

1972年9月の日中国交正常化の前後から、中国に残留を余儀なくされた「中国残留孤児」「中国残留婦人」「中国残留邦人」から、自分の身元や肉親を探し求める手紙が厚生省(当時)をはじめ、開拓団関係者に寄せられるようになった。
これらの声を受け、1981年3月から中国残留邦人による訪日肉親捜しが実施されることとなる。
(以下、本稿では、終戦時に中国への残留を余儀なくされた人を、総称として「中国残留邦人」、樺太に残留を余儀なくされた人を「樺太残留邦人」と呼ぶこととする。また、この間の経緯は第2章1節で後述する。)

この後、一時帰国、および永住帰国事業へとつながっていくが、中国及び樺太に残された人が、ようやく日本に帰国した時には、年齢を重ね、高齢となっていた。
そのため、日本語の習得には大変な困難が伴い、言葉が不自由なために就労も思うようにはいかず、安定した職を得られないことから、多くの人は生活保護に頼って生活をしている、また、言葉が不自由なため、地域に溶け込めず、ひきこもるケースもあるなどの社会的な問題が生じることとなる。

このような中で、第168回臨時国会では、「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律の一部を改正する法律(平成19年法律第127号)」が審議され、衆参両院とも各会派の全会一致により、2007年11月28日に可決・成立した。

これにより、2008年4月より、中国・樺太残留帰国者への新たな支援制度が始まったばかりである。

この度、実際にこの新制度の実施官庁である「厚生労働省」をはじめ、「東京都」、そして、中国残留帰国者を多く抱える「足立区」「練馬区」「大田区」の担当者から、現状の聞き取り調査を行った。
さらに、実際に足立区在住・在勤の中国残留帰国者(1世)および、2世からの聞き取り調査もあわせて行った。